皆さまお疲れ様です!
おとうさんブロガーの える です^_^
今日も、子ども科学電話相談の解説のコーナーをはじめましょう( ・ิω・ิ)
本コーナーでは、子ども科学電話相談での、面白い質問・深い質問を取り上げて解説しております。
※決して先生のご回答がわかりにくいと言ってるわけではないので悪しからずm(_ _)m
今日の質問内容は?
今日は2020年11月1日(日)11時台 での質問で、
小学1年生の女の子の、
「本当に地獄はあるんですか?死んだらどうなるんですか?」
という質問を取り上げたいと思います。
回答された先生は、心と身体の分野の先生
篠原菊紀(しのはらきくのり)先生 です。
聞き逃し配信
2020年11月1日(日)
11時台 18分00秒あたりからの質問
NHKラジオ第1 子ども科学電話相談をらじる★らじる
質問に対するご回答は?
なんと難しい質問内容でしょうか(;^ω^)
これは回答難易度MAX確定です。
私自身、よく解説しようと思ったものです(苦笑)
篠原先生だって困られるのではないでしょうか?💦
あるかは分からないけど、役に立っている?
(篠原先生)
難しいし面白い質問なので、おじさんが答えるだけではもったいないので、久留飛先生や、永田先生にも意見を伺ってみようと思います。
ということで、先生方総力戦でご回答されることになりました(^O^)
なかなか無い展開ですねこれは(笑)
まずは、久留飛先生から、
(久留飛先生)
私が思うに、
「地獄がある」というのは何かの役に立っているのだと思います、例えば子供の頃に悪いことをしたときに、
「そんなことしてたら地獄にいくよ」
とか、見えない世界のことを言って、みんなで仲良くしなさいよという、生きるうえで役に立つ知恵になっているのだと思う。
生物では、まず形(身体)があって、そのあとに機能がついてくると考えると、体がなくなってしまうと機能がなくなってしまう。
死んだらどうなるかということに関しては、体が無くなったら機能が無くなってしまうので、きっと消えていくんだろうと思うけど。
ということ、
ご自分のご経験から仰っておられますが、見えない世界の「地獄」があることが生活の知恵だと言うことですね。
うーん、なるほど、それもありえます🤔
永田先生はどうでしょうか?
(永田先生)
私も小さい頃に「地獄に行っちゃうよ」とか言われた気がします。
でも、天文的なお話をすると、人間死んじゃったらお星さまになるとか言われたりしますよね。
流れ星なんかは天の神様が窓を開けて漏れた光が流れ星だ、なんて昔は言われていたんだって。
地獄とは逆に。
天国のことも星を見ながら考えていたのかなと思います。
天国も地獄も、あるのかはわからないけれども、勇気を出して皆で乗り切ったり、悪いことをしないようにしよう、としてできたものなのかなと思いました。
うーん、なるほど、
お二方とも、概念的に地獄が存在しているだけで、役に立っていますよ。
というご意見ですね。
実物として存在しているかはわかりませんからね🤣
神経科学的には存在していると言える
ここで、篠原先生に戻って
(篠原先生)
僕もホントに同じように思っています。
人は触ったり見たら、「有る」と思うよね。
だけど死んじゃったら、見る、触るを感じる頭の部分が死んでしまうから
「わからない」
ということになってしまう。
死んだあとの脳の活動を観察してみると、電気活動が無くなっているから、死んだその後があるのか無いのかはわからない。
一方で、人の記憶の中には「地獄がある」と思って良いと思います。
人の記憶は脳の神経細胞が繋がるのが記憶なんです。
地獄が有る無いに関わらず、地獄っていうものを思い浮かべたら、脳の神経が活動する。
(石井アナウンサー)
つまり、人の心の中で人が作り出した世界ということですか?
(篠原先生)
今の神経科学的には、作り出した世界というのは神経的には実在しているので、神経のつながりとしては。
ものそのものじゃないけど、神経のネットワークとしては存在しているので、それを存在していると言ったら、存在していると言って良いと思います。
(石井アナウンサー)
頭の中には描かれている?
(篠原先生)
しかもかなり共通に描かれていると思います。
とのことで、
神経的には「存在している」と言い切っておられます😮
いやー、難しいですよね💦
女の子としては、「実物としての存在」が気になるところでしょうが、これについては全く不明なのは間違い無いですね。
解説(?)
では、私も整理して解説しようと思いますが、やはり「実物としての存在」に関してはタッチできません😱
が、脳科学的、仏教学的なこと総括して考えてみると、地獄は存在していると言って差し支えない気がします。
そもそも地獄とは?
「地獄」とはよく言いますが、どのようなイメージでしょうか?
Wikipediaには
悪行を為した者の霊魂が死後に送られ罰を受けるとされる世界。
とあり、仏教、キリスト教などにおいてもこの考え方は共通です。
イメージとしては大抵地面の奥深くにあって、火が燃え盛っていたりして、苦しいところのといった感じですよね🔥🔥
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私達の馴染みのある仏教的な観点からいくと、
地獄思想の目的は、一つには宗教の因果応報性であり、この世界で実現されない正義を形而上世界で実現させるという機能を持つ。
ということです。
...
...
といってもなんのことか分かりませんよね?(笑)
ここのとこ少し掘り下げましょう!
仏教の根本的なところ
上の引用文中にも「因果応報性」とありますが、仏教の教えの根本はここにあるのです。
仏教では、
善因楽果(ぜんいんらっか)…善が楽をうむ(善因善果ともいう)
悪因苦果(あくいんくか)…悪が苦をうむ(悪因悪果ともいう)
と教えられます。
要は、
「いい事をしたらいい結果が返ってきますよ」
「悪い事をしたら悪い結果が返ってきますよ」
という、とっても基本的な考え方です。
この原理に異論を唱える人はあまり居ないのでないでしょうか?
そして、生きているうちに作った悪業(悪い事、悪因)が生きている間に、悪果として返ってこないことがあるわけで。
例えば、10人殺した死刑囚が、1回の死刑執行で許されるのかと言うと、割に合わない話ですよね。
そうなると、死んだもの勝ちじゃない?
ということになるのですが、
そこで、地獄の役割が出てくるのです。
仏教的には、一度作った悪業は死んで清算されるほど生半可なものではなく、
相応の悪果を受けるまで、いつまでもつきまとうことになります。
その悪果を一気に受ける場所が「地獄」なのです。
そもそも、地獄の当て字として、
「自業苦」と書かれることがあります。
まさに、自分の業で自分が苦しむのだ。と言う事ですね😱
神経学的な「存在」とは? 地獄は脳内で、しかも実物として作り出せる可能性。
篠原先生は、
神経のネットワークが記憶の情報として残る。
神経のネットワークが存在していれば、それは存在していると言っていい。
と仰っていましたね。
では、
実際に知覚したものが記憶として脳神経回路に残る。
として。
真に存在するかわからない物であっても、私の脳自身が「地獄の存在を知覚した」回路をつくりだせれば、それは私の意識の中で地獄が生まれたということに他ならないですよね(´・ω・`)
そもそも、世界の存在自体、私が知覚しなければ、私にとっては存在し得ないもの。
ともすれば、今知覚している、実物と信じているものさえ、「私の脳が勝手に作り出した虚構」の可能性さえ有ります。
多分、映画「マトリックス」を見れば、私の言っている意味が分かります(笑)
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そうなると、何でも存在し放題なんですが😓
ですが、仮にこの世の全てが私の脳が作り出した虚構だとしたところで、
「因果応報」の原理に逆らえるわけではない
ので、自分の思い通りにならない世界しか創造出来ない可能性が有ります。
こうなってくると、
「地獄は(私にとって)実体を持ったものとして存在する可能性」
が出てきます。
宇宙というなかでの「私」の存在とは? 〜色即是空〜
私はよく「宇宙の中で私の存在とは」ということを考えるのですが、
よく宇宙論で「次元」とか、「宇宙が生まれる前は無だった」とか言われますが。
だったらずっと無でいいはずなんですよ。
なぜ?誰が?なんのために「有」を作り出したのか。
私の知覚している世界は本物なのか?
と。
皆さんも考えたことありませんか?
そうなりますと、今考えているこの私の意識(私すら何なのかわからないが)以外は、何をもって存在と言えるのか。
そう考えていくと、ごく自然的に、デカルトの
我思う、ゆえに我あり
に帰結するのですね(´・ω・`)
別にデカルトさんほど頭よくなくても、誰でもここにたどり着くと思います。
また、仏陀は、
かの有名な般若心経に
「色即是空」を説いています。
この世のすべてのものは恒常な実体はなく縁起によって存在する、という仏教の基本的な教義。
もしかすると、合っています。
宇宙の真理の可能性が大いにあります。
その仏陀ですら、我々にとっては虚構である可能性がありますが、仏陀の言葉は虚構ではないのかも知れませんね。
その仏陀が、地獄世界を説いているとなると、信憑性もあると言うものです。
地獄は存在する可能性が非常に高い
...
ですから、
(自分でもなに言ってるかわからん🤤)
自分が「地獄」という存在を作り出せば地獄は存在します。
しかも、本物として。
その上、因果応報の原理が成立するならば、
我の思考から生まれた世界は、因果律に逆らうことはできず、ごく自然な流れとして、地獄世界を生み出す事は確定します。
血の池地獄とか、鬼とか言われますが、あれはイメージなだけであり、各人各様の地獄が作り出されます。
恐らく、仏陀はこの真理の境地に立っていたのではないでしょうか?
宇宙の全てが見えていた。そう思えてなりません。
ここまで言うと、
スピリチュアルだとか、訝しむ方もいらっしゃると思いますが、
めちゃくちゃ、れっきとした科学だと思います。
訝しむならば証拠を以て反論しなければ。
科学的に否定できたことになりませんからね🤔
まとめ
とまあ、
もう殆ど、子ども科学電話相談レベルの解説でないですが😅
般若心経の写経もよろしいですが、これを機に、中身も考えてみて下さればと思います。
考えすぎると、色々精神に支障を来す可能性があるので、程々に...(笑)
今回の回答難易度
※個人的な難易度設定です